日蓮宗では戒名の事を院号と称している(一部を除き何処の宗派でも戒名の構成は同じ)。それは「AA院BBCC居士(位)」で構成されている。最初のAAは院号に当たる部分で本人の人生観、生きた証、信条、信念、生き様、最も大切に思っている事を漢字2文字で表す。次のBBに当たる部分は道号に当たり本人の性格、職業、趣味、特技を漢字2文字で表す。CCに当たる部分が戒名(名前)に当たる部分で現在、俗名の名から一文字取る傾向にある。もう一字は本人の最も気に入り好きで本人を表すものとなる。そして男性の場「居士」、女性の場合「大姉」と続き、最後の位は現世で言う何々「様」を示すもので、あってもなくても良い。そして漢字の組み合わせは固く考える必要は無いとの事だ。
私は親父の戒名を次に考えた。先ず「院号」。親父の人生は正にその時々の務めを全うしてきたと言える。だから「務」を「全」で「務全」。「務全院」より「全務院」の方が決まる。次に道号。親父はどんな事にも心が折れず、屈せず、耐え忍び、難関を突き破り、持続させて来た。正に「気」の人だ。そして派手な趣味が無かった親父は散歩が好きで良く写真を撮っていた。そこで「道号」は「気歩」。戒名は親父の名から「次」を一字取り、青春時代を捧げ命を賭けた一式陸攻爆撃機から「陸」の文字を取り「次陸」。「次陸」より「陸次」の方が語呂が良い。そして院号(戒名)は「全務院気歩陸次居士」と決めた。
通常ルートで行けば位牌や坊さんのお経(通常、坊さんから戒名を授かる)を含めると700000円コースが10000円足らずで事を済ませた。親父を含め家族は信者ではないのでそれで良いと思っている。オーダーした位牌に戒名が刻まれ、それを実家の仏壇に備え手続きを終えた。親父とは当然、所帯が違いお袋の代理となり動き、本籍が皆、東京だった為、手続きも倍増し3ヶ月かかった。
私は手続きをしながら親父の「やるせない気持ち」を理解した。自分が子供の頃から働いて働いて周囲の人間の面倒を見る。周囲は「そんな事は当たり前」ぐらいにしか思っていないか、それすら意識していなかっただろう。まったく「人の苦労を何とも思わず、感謝の知らない人間に包まれて」。そして負担ばかりかけられるだけで、何も報われず、自分の気持ちを汲み取れない周り。私は親父を喜ばせてあげる事が、一体どの位あっただろうか。
人は相手と同じ境遇に立ったり、同じ目をみないと本当に相手の気持ちなんか分からない。いや、同じ境遇に立ったり、同じ目を見ても本人の性格で捕らえ方は違う。様々だ。同じ家族でも、こんな調子なのだから、人が他人の事を理解出来る事など出来るのだろうか。人の心ほど収集がつかないものは無いと思う。自分でも自分が分かっていない部分は有るし、状況で簡単に変わる。「気配り」、「思いやり」、「心を一つに」。私も人を見てきたが言う奴ほど利己的な人間が多い。いや、皆、同じだろう。優しい親父は人の心に目を向けていた。しかし、晩年は事務的に対処している。賢人の親父が出した答えだ。それも一つの方法だろう。人は存在するだけで人に迷惑をかけるものだ。
親父も神様ではない。定年後、年金生活に入ってからは自分を解放するかの様、好きな酒とたぶん癒しを求め約30年、毎日飲み屋に出向き飲み仲間と楽しくやっていた様だ。その額、何千万に上るか分からない。飲み屋の女将さんは親父のハートを掴んだんだな。。とにかく、中学生時代、進路相談で私を「電気」の分野に導いてくれた親父の洞察眼(時代の流れ、私の性質にハマリ、今後に渡り食うには困らない)には感謝しても仕切れない。
親、兄弟、家族の面倒。皆、病人(障碍者)だ。「後はシッカリ引き継いだぞ、親父」。