宮城県からお袋の兄、その娘と又、その子供、大阪高槻から姉、又その娘が我が家に来る事になった。お袋は86歳。涼しくなったら、死ぬまでに親戚が集まっている「故郷に帰りたい」と言っていた。大阪池田から仙台、仙石線(仙台~石巻間)で矢本まで行くとなるとハードである。付き添いが必要だが、私も仕事を抜けれない。頭を痛めていたところに意を汲んでか向こうから来てくれると言うのだ。お袋は「顔が見れれば帰らないで良い」と言っていた。5人が一挙に我が家に集結する。キッチンを除き4部屋あると言えども満杯状態。嫁に実家に帰って貰うことにした。
お袋は脳梗塞で舌をやられているので、食事は全て外食だ。熾烈な外食チェーン店も値上げが出来ないので、量を減らしている。随分、小さく少なくなったものである。牛丼では「易い、速い、美味い」でトップを切り一世を風靡した吉野家の牛丼は当時、後続を寄せ付けない美味しさがあったが、今では一番、不味い。コンプライアンスに反するが東南アジア系で体臭のキツイ店員の中での食事なら尚更である。
しかし、吉野家の鰻丼は他の牛丼チェーン店と比較して一番美味い。休みの朝食時、吉野家に鰻丼を食べに行った。やはり、店員は少ない。お婆ちゃんがオーダーを取りに来た。実に丁寧で、しかも人と向き合っている。マニュアルでやらされている感も、作っている様子もない。「自然だ」。かなりの年齢になるが、その歳になっても働かなくてはならない環境に置かれているのか。運動、ボケ防止の為か。人と接っしたり、仕事が好きでやっているのか。暇つぶしか。それは想像は出来ても分からない事である。
今の世の中、人による差は大きいが自分の仕事の商品知識がまるで無いと言うか勉強する気も無い人は多い。仕事も事務的で雑。しかし、世の中は甘くない。出来る人はチャンとやっている物である。会計でお釣りの千円札を受け取る時、札が数ミリ折れていた。そのお婆ちゃんはそれを折り返し、伸ばして渡してくれた。他愛の無い動作ではあるが、これが「サービス業」と言うものだ。日々の忙しさに追われ、雑にする仕事。そして、それが当たり前になる。時間差にして一体どれだけのものなのか。雑にされた相手は実に敏感に察知する物だ。「好い気はしない」。下手をすれば契約、付き合いが終ることもある。
組織に属する人間は自分の頭脳で動けない。頭の良い人(自分より優秀だから上にいる)が「シナリオ」を描き、指示を遂行するだけである。「面白くは無いかも知れない」。「それなら辞めろ、自分で起業しろ」となる。「動物園のおりから抜け出し、ジャングルで自分が食われず食って行け」と言う事だ。
つまらない仕事。しかし、それが金を貰う仕事と言うもの。仕事は愚鈍なまでに、実直に丁寧に行いたい。そこに隙は生まれない。強い仕事と言える。