前回記事、「太平洋戦争とは」では述べていなかった情報を加えて再検証してみた(もう一度「太平洋戦争とは」から読み返して頂くとさらに理解して頂けるでしょう)。日中戦争で怒涛の侵攻を行っていた軍事国家の日本に対し米・ルーズベルトは大国に進んで行く事を危惧していた。そして、ドイツがポーランドを侵攻し第二次世界大戦が始まった。ドイツの勢力が拡大するにつれソ連・スターリンは地政学的にドイツと日本で挟み撃ちにされる事を非常に恐れた。スターリンはアメリカにスパイを200名送り、それらはルーズベルトの側近までに至り日米戦争へ炊き付けた。ルーズベルトはソ連の働き掛けが無くても日本を叩く気十分であっただろう。米は日本への経済封鎖を強め、日中戦争最中の日本は石油を断絶され、さらに他国を侵攻し資源を求めたが追いつかず真珠湾攻撃へと踏み切った。ルーズベルトの「先に殴らせる」戦略に嵌った。
真珠湾攻撃は前回で詳しく述べ、大成功の様に言われているがそうでは無い。真珠湾攻撃当日は空母がほぼいなかった。そして情報不足により、燃料源である巨大石油タンク施設をまったく破壊していなかったのだ。これらを破壊していればアメリカは2年ぐらいはモタついたと言われている。「大失敗」である。他の首脳陣が成功の馬鹿騒ぎをしている中、指揮を取れなかった米・国力を知っている山本五十六氏一人が青ざめていた。
日本もただ石油ルートを閉ざされただけで真珠湾攻撃に踏み切った訳では無い。独・ヒトラーと非常に似ている血気に走る単細胞的(親父が生きていたら怒られるな)な軍を野放しにしていた訳では無い。当時の首相・近衛文麿氏は対米戦を絶対避けるため軍を空・陸・海と分散させ力の分散化を図った。軍国時代の最中、その程度で軍の勢力を押さえ込める訳では無い。陸軍大臣は近衛首相に無断でドイツと三国同盟を結んでしまった。これは米に対しての心証を著しく悪くする。しかし、近衛氏は陸軍大臣から三国同盟後、ソ連を引き込み四国同盟化し力学的に対米戦を避けられると言う考えに納得してしまった。非常に世間知らずで甘い話である。ヒトラー率いるドイツはソ連侵攻を始め、日本の目論みは潰えた。対米戦を避けたい近衛氏は焦り、米ルーズベルトに会談を申し込んだが、元々、日本を叩く腹のルーズベルトは会う訳がない。会談は実現せず近衛氏は退陣した。
次に首相になったのは世相柄なんと、あの陸軍大臣であった東条英機氏であった。東条氏は対米戦を避ける中、一方軍備を増強していた。日本国内世論は中国侵攻大成功の中イケイケムードが蔓延。米の経済封鎖に耐えかねパフォ-マンスばかりが派手だった真珠湾攻撃となった。
日本は、これからの戦争は戦闘機の時代になると自ら示したのだが、そのまんま無用の長物「戦艦大和」を造り続け、なんの成果も無く沈み、乗組員3000人は死んだ。