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Channel: MB マッスルバックアイアン名器巡り
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猪名川南下(軍行橋~大阪湾)、リバーサイド・プチ・ツーリング2

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国道2号を下ると川沿いに入れる道が一方通行で入れない。少し進んでUターンし川沿いを進んだ。後で調べると左門橋と言うところから川沿いに入っていた。ここからは、高い防波堤が続き景観は良くない。間も無くすると国道43号にぶつかり川沿いの道は遮断された。43号を南下すると、間も無く淀川が出てきた。「デケーーー」。西の遠くに大きな船が浮かんでいた。昔、仕事で全国出張を行っていたとき新潟の万大橋が架かる信濃川の広さを思い出したが、コイツは楽に倍はある川幅だ。さざ波がやけに細かい。若い頃、琵琶湖で小型ヨットを楽しんだが、兵庫の山から南下し海に出るのも楽しいだろうな(実行不可)と空想した。
 
 
国道43号で思い出した。そう言えば小さい頃、親父に連れられて川沿いをひたすら歩き、国道43号に出た事があった。今回、バイクで走ってきた道をその時は歩いて来たんだな。親父は散歩が好きだった。何川沿いを歩いたのかは忘れたが、今では親父の気持ちが良く分かる。
 
 
淀川を渡り、少し道筋から外れて行く雰囲気。。Uターンして戻ろうにも直進しか出来ない。その内、高架で高速道路の雰囲気がある道路に入った。益々、戻れない。その内、標識が出てきて、「天王寺とか弁天町」と表示されている。「何処行くネン」・・・。かなり行き過ぎてから、やっとUターン。この道、何か見覚えがあるな。昔、発電所の仕事で来た道だ。そう言えばこの辺でも安治川サイロとかで良く仕事をした。安治川サイロは社会人になって間もない時期で電気職人として工事を行っていた。そのまま、続けていたら何処かの所長ぐらいになっていたかも知れない。しかし、私は人に言われ寝る時間も削るほどこき使われる道を選ばなかった。「お前は頑固と言う物では無い」と親父から言われたこともあったが、今思えば私は他人の言う事を聞く様なタマではなかったのである。今日では大阪国際空港設備の中枢にあたる制御の仕事を担っているとは、その時には分からない。人は二つの道は同時に歩めない。人生の面白い、難しいところでもあるだろう。
 
 
国道43号から地図、ナビ無しで何とか川沿いの道に入り込んだ。標識に中島工業団地と出て来た。「工業団地??」。「もう海は近いな」。中島工業団地に入り込んだ。高い防波堤越しに数多くのクレーンを確認。「間違いないな」。しかし、中島工業団地をいくら何処に進んでも、行けども、行けども防波堤。広大な中島工業団地の中を彷徨った。「ブロックされている」。「海には出れない」。一度、43号に戻り他の入り口を探す事にした。工業団地の真っ黒に日焼けした肉体労働者の目が平日の昼真っから「気楽な奴だ」との視線が刺さった。私の人生は波乱万丈。今でも苦労は多いが(誰でもや)、明るさがそれを感じさせない。人は他人の良いところを見て羨み、時には妬む。他人がどうやってそこまで来たか、その努力、その裏に潜む苦労は見えない。


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