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Channel: MB マッスルバックアイアン名器巡り
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続・太平洋戦争とは(8)~サムライ・山本五十六連合艦隊司令長官②~

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この事を知った山本連合艦隊司令長官は日本中が大フィーバーする中、一人青ざめていた。そして奇襲作戦とは言えこの攻撃は日本事務方のミスでアメリカに戦線布告が行っていなかった。しかし、この戦争は米・ルーズベルトに仕組まれた事は既に述べているが、米はこの攻撃を事前に傍受・解読しており、米・ルーズベルトは己の欲の為、日米決戦を行う為、真珠湾にいた軍人に知らせず自国民2300人死に追いやり「先に日本が殴ってきた」と大義名分の餌にした。一見派手な真珠湾攻撃大成功によりこの戦争に反対だった近衛首相や山本連合艦隊司令長官、特に山本長官は戦火の英雄、国民の憧れ、ヒーローとなり神格化された。山本長官は膨大なファンレターで子供の物まで全て返事を出したと言う。律儀な事である。こんなところからも彼の人望を見て取ることが出来る。私の故親父の行動、言動を今から思えば随分、山本長官の影響を受けている事が感じ取れた。


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この日本のパールハーバーは当然、アメリカ人に火をつけた事は言うまでも無い。戦意喪失からの講和狙いは甘すぎる。私はアメリカ人気質を知っている山本長官の建前に思える。米は1942.4.18日本本土空襲。山本長官の真珠湾攻撃からの第二弾はミッドウェイを落としそこを拠点に再びハワイ・真珠湾を攻撃すると言うミッドウェイ作戦であった。42.6.5、山本長官は戦艦「大和」に自ら乗り込み自ら指揮を取った。アメリカ軍、空母3隻のみに対し、日本海軍は前列の日本機動部隊・空母4隻、戦艦2隻、後列に大和艦隊・空母1隻、戦艦7隻。圧倒的に日本優位に見えた。しかし、米軍は又しても日本側の作戦を傍受。100機余りの戦闘機で日本の空母・赤城、蒼龍、加賀、飛龍を撃沈。夜戦に持ち込もうとしても米軍艦隊は退避。大和は世界初の最新技術46インチ主砲どころか一発も放たずにミッドウェイを後にした。何度も言うが日本は情報戦を軽視し、真珠湾でこれからの戦争は空、航空機の時代になると自ら知らしめて置きながら米・航空機によって大敗した。ミッドウェイ海戦は空母4隻、重巡洋艦1隻、艦上機322機、戦死者3000人の被害を出した(これまで海軍だけで30万人の死者を出している)。山本長官は「陛下には私がちゃんとお詫びする」と言葉を残した。このミッドウェイ海鮮で日本は惨敗しアメリカに形勢を大逆転された。この時点で日本の敗戦は決定的な物になっている。日本・山本長官は1年間と言えど良くアメリカ相手で優勢に進めて来たものである。つくずく真珠湾攻撃での巨大石油タンク施設、工業地帯の無傷が惜しまれる。この大惨敗は国民には知らされなかった。

 


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親父も乗組員だった一式陸攻爆撃戦闘機


もう逆転の一手は無い。衰退して行く中、山本長官は戦線の指揮を上げる為、前線航空基地視察に出る事とした。1943.4.18ラバウル基地を一式陸攻に乗り6台のゼロ戦による護衛を付けルーベンブルクに向かった山本長官の行動はアメリカに傍受されていた。敵機16台に囲まれ山本長官(59歳)の乗っていた一式陸攻はブーゲンビル島に墜落した。同じ一式陸攻に乗り爆弾を投下していた故親父の話によれば、護衛機6台など完全に自殺だと言っていた。歴史的にも自殺と解釈されている。山本長官は命懸けの抵抗、自身の死を持って戦争終結を訴えたのものと推測される。
 
 
山本長官の死後、米の思惑通り日本の戦力は増して落ちて行く。その後、日本は山本長官の意に反し一億総玉砕、本土決戦へと突き進んで行った。仮に山本長官が生きていて終戦が早まったとしても日本の国民性やアメリカの国情上、原爆投下はま逃れなかったと私は考える(※原爆投下詳細は本部ログ全記事「太平洋戦争とは」で掲載済)。
 
 
最後に山本五十六連合艦隊司令長官が残した現在に生きる有名な言葉を紹介して締めくくりたいと思います。

 
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「やって見せ」
「言って聞かせてさせてみて」
褒めてやらねば人は動かず
「話し合い」
「耳を傾け承認し」
任せてやらねば人は育たず
「やっている」
「姿を感謝で見守って」
信頼せねば人は実らず
 
 
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<男の修行> 
 
「苦しいこともあるだろう」、
「言いたい事もあるだろう」、
「不満な事もあるだろう」、
「腹の立つ事もあるだろう」、
「泣きたい事もあるだろう」
これらをじっと堪えて行くのが男の修行である。
 
 
<未来ある若者に残した言葉>
 
学問のすすめ、将来、発展の基礎を切望。
勤勉こそが国家を築く礎となる。
 
 
真珠湾攻撃での山本長官の真意は推測の域を出る事は出来ませんが、情報不足による石油タンク・工業地帯無傷、米戦意喪失を狙った講和は甘いと言わざる得ない(そうするしか無く、親父が生きていたらブン殴られるな・・)。その根源は勉強不足が招いたものとなる。ゆえの若者に残した言葉では無いだろうか。戦争に反対しながらも職務を全うした武士(サムライ)であった。





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