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Channel: MB マッスルバックアイアン名器巡り
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続・太平洋戦争とは(6) ~原爆開発を巡る米・ソ・英の思惑~

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英・メイ首相、顔には心労の影響、声はかれてガラガラ。凄い状態で英議会にブレグジッド(EU離脱)延期の「可決」を取り付けました。命賭けてやってる感じ、芯の強い女性ですね。EU・トゥスク大統領は延期は飲むでしょう。アメリカでは既に次期大統領選に向かい攻防が始まっています。北朝鮮に再びミサイル発射の動きが出て来たと思ったら、ニュージーランドのモスク2箇所でイスラム信者へのテロ事件。49名死亡、48名負傷。連日、全世界で、このテロ事件のニュースが続いています。

 
マンハッタン計画(メキシコ州・ロスアラモス)ではプルトニウムの起爆方法で困難を極めていた。プルトニウムの周囲を32箇所の火薬で取り囲み、同時点火でプルトニウムを圧縮し、密度が高くなる事で臨界に達し爆破させると言う方法だ。当時の火薬技術ではプルトニウムの先端のみに到達。圧力が均一に加わらず、圧縮される前にプルトニウムは飛び散ってしまう。誰がどう、この問題を解決したのか。それは、イギリスから送られて来た火薬専門技術も持った科学者、クラウス・フックス、ジェーム・スタックによって爆縮レンズを使用する事で均一化が図れ、見通しは経って行った。比較的若い米科学者と比較して遥かに高度な専門技術を持っていた。


イメージ 1
クラウス・フックス。

イメージ 2
イメージとしてはこんな感じ。 


イギリス科学者のクラウス・フックスはドイツ人。ドイツ共産党員でイギリスに亡命していた。そして、ソ連のマンハッタン計画スパイと言うのは、このクラウス・フックスだった。クラウス・フックスは何故、ソ連のスパイになったのか。反ファシズムの思想が強く、当時のナチス・ヒトラーを抑えて欲しい期待と、原爆の一国支配を避ける思いがあった。戦後、フックスは自らスパイを告白。イギリス裁判にかけられ、イギリス国籍剥奪、9年服役の後、東ドイツに在住した。
 
 
米・ソ・英の「ヤルタ会談」でソ連は対日参戦する事になった。ソ連は日本に原爆投下され戦争が終ってしまわない内にと急務となり、そして米・ルーズベルトは病死した。ルーズベルトは早くから原爆投下対象は日本と決めていた様に思われる。自分から仕掛けた戦争だが真珠湾攻撃の恨みや国民感情があったであろう。ヒトラー率いるドイツはソ連侵攻・スターリングの戦いから形勢逆転され、米主体の連合軍の本土空襲から1945年5月、降伏した。ソ連はその後、東欧諸国支配まで拡大して行った(フックスは幻滅した)。マンハッタン計画では丁度、原爆の試験が行われていた。原爆投下先は必然的にいつまでも食い下がる日本となった。投下先は原爆効果を知る為、空襲被害の少なく、効果が大きい地域となった。日本は1945年7月26日、ポツダム宣言の無条件降伏を蹴り、8月6日広島(ウラン型)、3日後、長崎(プルトニウム型)に原爆は投下された。
 
 
長崎被爆地では爆風効果調査が、核の防衛計画目的(シェルター等に繋がる)の為、在籍記録から被爆状態、死亡率、死因、死亡場所等、徹底的に調査された。ソ連はフックスのスパイ情報からまったく同じ原爆を4年で完成させた。日本への原爆投下は米ソ核開発戦争となり、1952年、米ソにより水爆(原爆の100倍)を完成され、「東西冷戦」へと繋がって行った。



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